アーサおじさんのデジタルエッセイ79
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む「サルの尻笑い」という言葉があるそうだ。
		
サルが他のサルの赤い尻を見て笑う、ということで、自分も同様であるのに、知らずに他人を笑っているということらしい。
		
「人のフリ見て我がフリ直せ」などと同じか。
		
しかし、考えてみれば無理もない。
		
サルには自分の後ろ姿を見る鏡というものがないからだ。
		
人は左右反対に見える鏡の姿を自分であると了解している。
		
これが人間の徴(しるし)かも知れない。
			
			ホモ・カガミデミルスなんて。
			
		
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しかし、『どういう風に鏡を組み合わせても、他人には見えるが、自分には見えない姿とは、なあに?』というクイズがある。
		
この答えは「目を閉じた顔」である。
		
そんな、と思うかも知れないが、これは写真というものが登場するまで人類には、絵画か、想像する以外には与えられなかった姿だ。
		
最近になって人が手に入れた世界というわけだ。
		
それまでの絵画というものの役割が「客観視」、あるいは想像によって再現される「ファンタジー」であったのは頷ける。
		
決して見ることの出来ない世界を画家は見せてくれる。それはリアルでもある。
		
「過去の自分」や「目を閉じた自分の姿」を想像してみよう。
			
			それは限りない"ファンタジー"であるはずだ。
			
			
		
   「 また、お会いしましょう」