アーサおじさんのデジタルエッセイ67
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む ドイツの学生は教科書でたっぷりと、自分たちの民族がいかに他民族に罪を負うかを知らされ反省させられる。
			 ナチは、強制退去にするユダヤ人を旅行姿にさせ、貴重な荷はトランクに詰めさせ、男と女と子供とトランクを別々に、車両に詰めた。
						「あちら」に着いたら一緒にするからと、トランクに名前を書かせた。
						しかしそのトランクは、汽車に乗せられることはなかった。
			
						その後、家族が一緒になることもなかった。トランクは、物が欠乏するドイツ人の家庭に一個ずつ配給された。
						ドイツ人の子供は、その中に詰められたぬいぐるみを見つけて喜んだだろう。
						母親は石鹸とネックレスを見付けたかもしれない。そしてプレゼントの主が誰だったのかは、そこに書かれた名前で分かったはずだ。
			
		
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			その使い古されたぬいぐるみを、もう一度使い古した子供も、もう老人となり、孫がいるかも知れない。
			老人と孫は今、そのトランクの持ち主に謝罪しなければならないのだ。
			
 前回に書いた、蓮根畑の持ち主に僕は、罪を負う。
			母親に手渡された蓮根の葉は、僕を太陽から守った。
			しかし僕は蓮根泥棒の共犯者となったことを知らなかった。
			全身汗だらけ、泥だらけになる蓮根の収穫。大自然の恵み、だといってこちらに分け前を掠めることができるのか?
			カエルの親子だといって、素朴さを装うことも出来るはずがない。
			神にも悪魔にも子供は、無防備なのだ。
			
		
    「 クーラーのあたり過ぎにご注意」