アーサおじさんのデジタルエッセイ66
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む昭和○年代の頃、九州の夏は、太陽に叩かれるように暑くて、燃えていた。
			市電を乗り継いで、やがて田んぼのあぜ道を歩く。
			墨のように真っ黒い影法師がゆらゆらと動く。
			地平まで続く蓮根畑の沼の前で、母はかがみこんで、そのきな大きな蓮の葉をポキッと折る。
			
			4〜5歳だった私にはやや小さな葉。
			母はたっぷりと大きな葉。
			それを掲げ、日傘にして歩くのだ。
			マンガで見る蛙たちの日傘の実物版である。
		
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						今、この光景を思い出す時、複雑なものがある。
						葉を失った蓮根は水が入り、腐る。母がそれを教えてくれた。
						田舎出身の母はよく知っていた。
			
						「ありがとう」と一礼してもらうんだよ、と言っていた。
						そんなもんだろうか?
			
						しかし、時折、人が働く姿も見えた。
			
						母は「こんにちは」と日傘のままに声を出していた。
						彼女はここでは、地元の少女だったのだろう。
						だから大人になっても"いつもの夏ように"していたのだ。
			
						もしかしたら、我々は、ほとんどあぜ道の「蛙の親子」に過ぎない時代だったのか。
						勝手ながら自然が作物を実らせ、豊かに伸びていく。
			
						その間で暮らしている人間たち。布一枚を体に羽織ってゲコゲコ言ってたのか。
						クーラーもなく、インターネットもない、空には風だけが吹く時代だった。
			
					             ◎ノノ◎ 
					             (・●・)
			
		
  「 ところで、体調はOKですか?」