アーサーおじさんのデジタルエッセイ598

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第598 この世の地獄について


 不思議なことが、世間にはあると思う。
 先日、用事があって市ヶ谷の方に出掛けた。
ビルの上からこんもりとした森が見える。
靖国神社の森である。
帰りはあちらから地下鉄に乗ればすんなり行けそうなので、そこまで少し歩くことにした。
ここは明治12年に正規の神社とされたものでありながら特殊な存在であり、いつも散歩する近所の神社などと比べれば、恐ろしく規模が大きい。
金属製の鳥居などは、見上げるビルほどの高さがある。
また、通常は可愛かったりする狛犬も、ここのものは小頭、頑健な筋肉質の体格で恐ろしげである上、何段もの高く重なった台座の上に鎮座して遠くを睨みつけている。
 まあ、こんなところだから社内の庭も道路も掃除が行き届いてきれいである。
するとその端にトイレがある。
こちらも掃除が行き届いて清潔である。
ふと思ってその手入れの行き届いた室内を見た。
扉が開け放たれた「大」の方も清潔である。
それならば利用して行こうかと中に入った。
鞄を金具に掛けた。
するとである。
何か違和感を感じたのである。
私は小心者らしく「危険」を感知したのだ。
私は座り込む前にゆっくりと周囲を見回した。
すると信じられない事にぶつかった。

 トイレットペーパーが無いのだ。
いや、ペーパーが無いのではなく、ペーパー設置が為されていないのである。
驚いて、もう一つの「部屋」の方に移動して見た。
やはり無い。
ここ何十年とそのような公共トイレを見たことがなかった。
昔は駅にペーパーを置かないところがあった。
入り口に一回ごとのペーパーの自販機があったりしたものだ。
私は飛び出した。
何か聖なるものというよりも、通常の人間を拒否しているようなオーラに驚いたのである。
それならば「清潔」であるはずである。
来訪者に役立つようにではなく、清潔であることが優先されたのではないか。
それは見せ掛けの施設なのだ。
社殿の内部関係者はこんな参道の公共トイレを使わないから、気にしないどころか、どこかで歓迎しているに違いない。
これは本当の恐ろしさである。
あてにしてここまで辿り着いた人びとをどんな地獄に陥れるであろうか?
 今回書こうとしたのは、この後に起こる事故(利用終了時にリスクに気づくこと)にぶつかった人が、どうやってその危機を乗り越えるかについてだったのだが、その前の問題が大き過ぎると気が付いたので、しんみりとここで筆を置くことにする。  


             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」 2012年8月11日更新


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