アーサーおじさんのデジタルエッセイ575

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第575 水のパラダイス


 あの奇妙な空間のことを話そうと思う。
 成田空港近辺には、ちょっと変わったホテルがある。
しっかりした大きさの建物と豊かな設備を持っているが料金は安い。
しかし周辺には道路と林以外何もない。
そして外国人が多い。
正確には私たち以外の客は外国人ばかりである。
私と家族がなぜそこに泊まったのかは正確には覚えていない。
私たちは外国人とともに、その建物内で一日を過ごすほかはなかった。
おそらく成田空港に到着、翌日の出発のためにトランジットで宿泊する航空関係者専門のホテルなんだろうと思われる。
 さて、私は夕方、大浴場に向かった。
風呂場へのガラス戸をあける前から、ゴロゴロとくぐもった大音響が聞こえて来る。
それは何か尋常ではない。
破壊的な戦場のような胸騒ぎを催すような響きである。
ガラと開けると、厚い煙幕のような湯気の奥に、無数の人影が見える。
顔つきは分からない。あちらからも私は見えないだろう。
その人影は全員がふっくらした体型の腰にバスタオルを固く巻き付け暴れ回っている。
違和感を押し殺しながら、湯を掛け、端の方から湯船に浸かった。

外国人である。
しかも髯もじゃの男達(当たり前だが)。
フセインとカダフィとムバラクの親戚ばかりに思える。
腹も毛むくじゃらである。
仕方なく気にしないふりをしながら、湯から上がり、洗い場で洗浄作業に集中する。
間もなく嬌声は高まり、紛れもなく戦場のように、銃弾と火炎が男達の間で発射され、撃ち合い始めた。
ただしその銃弾はシャワーの放出口を最大限に開いて放射されるお湯である。
それがまた、実に勢いよく放射される水圧であったのだ。
風呂場中に激しい弾道と笑い声が交互にぶつかりあう。
 不安な心境で体を洗う私の頭にも「ザザザザーッツ!」と雨が降り始めた。
私は品性と忍耐で対処してもよいとは考えていたが、国際交流上、現地のルールには実質的なマナーばかりでなく、伝統的な文化の継承の主張もあるのだと思えて大声で「ノー!!」と叫んだ。
かつて新潟でロシア人の入浴マナーが国際問題にもなっていたのを思い出す。
それから脱衣場で英語の出来るフセインと話したら彼はイランのパイロットであり、他の髯男は航空関係者であると言うことであった。
 数時間ほど考え、数日掛かって考えがまとまった。
大の大人が何であれほど、幼児のように興奮して、水遊びをしていたのだろう。
日本の入浴マナーを知らない。
いやそれ以上に異常にハイであったのは、彼らがこれまでの生涯に味わったことのない空間だったからだ。
 そうだ、水のテーマパークだったのだ。
 アラブの乾燥地帯で生まれ生涯を送る彼らは世界の中でも、小さなバスタブから飛び抜けた巨大なお湯の遊園地に来たのだ。
湯気に包まれ、ザブザブと湯船に飛び込み、互いに「贅沢」な湯を放出して掛けあうということが許される空間。
たった一日だけでも、これを楽しまないではいられなかったのだ。
彼らのカサカサでカラカラの渇いた生涯を考えれば仕方もないことかも知れない、とも思った。
翌日の午前中にも訪れた時は風呂場から歌が聞こえて来た。
中では十人ほどの髯のイラン人達が、湯船に浸かって肩を組み左右に揺れながら大きな声で合唱して、その幸せに酔いしれているようであった。
コーランとは思えない。
彼らはこの国で、初めて身体の生命的な快楽に触れたのだろう。


               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」2012年2月5日更新


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