アーサーおじさんのデジタルエッセイ576
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 都営三田線の電車の中で「あれ?」と思った。つり革を包んでいる広告に一本ごとに交互に「婚活」そして「終活」と書いてある。
「就職活動」ではないのだ。どうも「終活」には葬儀に関する解説が書いてあるようだ。
確かめようと思ったが、降車駅についたのでそれ以上は判らなかった。
これまで「終活」はマスコミでの言葉であり、広告にはタブーだったような気がする。
これも市民権を得たのだろうか?
しかしである。婚活は、人間的な人生の出発点ではないか。
ここから家族や子孫の発展が始まるのだから。
そして終活は個人的には終点である。
これにも「活動」が迫られ、長い時間を準備に試行錯誤しなければならない、と背中を押されるようだ。
「いい加減にしてほしい」
なんでもかんでも、営業の品目にしないでくれ。少なくとも顧客に早めの認識を求めないでくれ。
なぜなら、人生は気がついたら「勉強しろ」で始まり、「就職をうまくやれ」「結婚は重要だ」「出世しろ」などと続く。
もしかしたら、そのあたりで休息か、頂上が来て、ゆっくりできるかと心のどこかで思っていたのに、「そうは問屋が卸さない」と言われたみたいだ。
最後まで「働いてもらう!」と言うことか?
いったい人生はどこにあるのだ。
どこでゆっくりしたらいいのだ。
何が求めたいもの、行きたいところだったのだろう。
こういう漠然とした「人生の花畑で体を伸ばすこと」を否定されたみたいに、婚と終で縛られた。
いかにも説得力のある経済計画が敷き詰められて、体を縛り付けるみたいだ。
うーーん人生って、未来を準備して、働いて、積み重ねて、結局どこにあるのだろう??
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2012年2月11日更新