アーサーおじさんのデジタルエッセイ574

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第574 アポトーシス


 夜になると、またまたいい加減なチャンネル選びをしていて、テレビ講座を見てしまった。
今度は生物学であり、メガネを掛けた女の先生が、細胞の変性や死滅の解説をしていた。
消そうかどうしようかと思っていたら、細胞の肥大、過剰生産、委縮、などに続いて「アポトーシス」という言葉が出てきた。
早い話が、外傷や病的な変性死(ネクローシス)ではなく、自然サイクルでプログラムされた自然死の命名らしい、と分かる。
そんなのがあるんだ。
ポイントは、細胞が周囲に悪影響を与えたり、迷惑を掛けたりせずに、小さな単位に分かれ、血液中のマクロファージなどに吸収されて、跡形も残さずに消滅するプロセスであるということ。
人の死も、病気ばかりではなく、自然死、衰弱死というものがあるんだ。

 自然災害や突然の病気などばかりが新聞やテレビをにぎわすので、死とはそんな姿なのかと思ったが、ひとつの細胞であると考えれば、周囲との協調を取りながら、衰弱し、周囲に吸い込まれて、結合して消えていくものもあるのではないか、と考えさせられた。
 アポトーシスの心理というものがあるとすれば、本人の心に適切な老化の自覚と生活化があり、その受容がスムーズに進行している状態なのではないか。
そして周囲の人間関係も無理なく、相互に受け入れが進むのだろう。
やがて家族関係を壊すことなく、緩やかに死を迎える。
死に際してのトラブルも混乱もなく、喪が進む。
やがて個人は、家族的な尊敬の中で祖先と混じり合い、自然の方へ移行していくのだろう。
そのためには何が必要か?どういう準備があるのだろうか。
               
             ◎ノノ◎   
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」  2012年1月28日更新


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