アーサーおじさんのデジタルエッセイ565
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む パソコンが生まれる前と、その後では世界の様相が一変したと思う。
もちろん、いまだにパソコンが普及しない国、貧乏で年に何十万円もの投資ができない人々はいないわけでわない。
携帯通信もそうである。
でも少なくともわれわれの世界は大変化があった。
これと同じように、かつて写真技術が普及する以前とその後ではいろいろと様子が違うのだと思う。
写真がなければどうなるか?
すべては「現物」に頼るか、「聞き伝え・描き伝え」で想像するのが正当な方法となるのだ。
これにはいいこともあった。
東海道五十三次の浮世絵など、想像で描いたのではないかと言われる。
それでもよかったのである。
バレないし、想像を掻き立てればよいのだから。
このように画家の描いた絵が写真の代わりであった。
お見合い写真もそうであった。
あのベラスケスが描いた名作ラス・メニナスも、マルガリータ王女(1651- 1673)の五歳の日常のスナップ写真である。
ずいぶんと豪華なスナップである。
ベラスケスは王女の「写真」を何度も描かされるが、これは主に見合いのためであった。
「写真」は丁寧に包装されて、お目当ての相手先(オーストリアのハプスブルク家)に送られる。
受け手の屋敷では、ほぼ等身大のそれを見て「おい、お前もそろそろ身を固めたらどうだ」「う、うん、、」などと、王子をそそのかすのである。(スペイン宮廷はベラスケスに描かせたマルガリータの3点の肖像画をウィーン宮廷に送っている。
マルガリータが3歳、5歳、8歳の時の肖像である)
本人に似ていなくとも、写りのよい写真が好まれるように、肖像画もかっこよく描かれなければならなかった。
それが家の未来の命運を決めるかもしれなかった。
だからお付きの肖像画家は重要な地位にいた。
だから名人が登場する。
かれらの手に掛かると4頭身が8頭身に変わったかもしれない。
でも、今の写真よりは操作が簡単だったかもしれない。
いや、同じようなものか。
CGが生まれてからは。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2011年11月12日更新