アーサーおじさんのデジタルエッセイ558
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 中学生の頃である。
勉強のためにクラシック音楽をいろいろ聴いた。
驚いたのは、ああ終わると思ったら、なかなか終わらず、ジャンジャンジャンジャン、ジャーーン、ジャアーーン、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャジャーーン・・・(続く)。
と終わりのタイミングをとらえられない曲が沢山あったことだ。
暫らくそれを真似て、「終わりの長い曲」の指揮者を演じていたことがあった。
さて、東京スカイツリーという電波塔が出来あがり、あとは開場を待つばかりである。
ところがこの形を覚えられない。
三角形の「薩摩焼のような白いメッシュ」はよく分かる、しかしその上の展望台くらいから、曖昧になる。
記憶では絵がうまく描けない。
東京タワーやエッフェル塔なら、適当でも全体像のニュアンスが掴めるのだ。
何が違うのだ?なかなか異和感が消えない。
ある時、ふと気がついた。
それは上方に対する全体思想のことである。
足元からてっぺん、これは一体になるデザインというものが存在するはずであった。
このニュアンスによって、エッフェルは足元から優雅な頭の部分が想像できる。
東京タワーも足元から二つの展望台、そしててっぺんのややチクンとしたイメージがある。
しかし、スカイツリーにはその全体思想が欠如しているのだ。
例えば人間を足元から描いたら、肩の上にほど良い首と頭があり、しゃれた帽子でも被っていればそれで出来あがりである。
けれども、スカイツリーにはそれがない。
足元から肩まではよい。
それからやけに長〜い首、またまた長〜い顔、それを数回繰り返し、高〜い帽子を乗せる。
その上にはまたトンガリがあり、どこまであるのか分からない。
終わりが掴めないのである。
設計時に世界一にするための延長の計画変更があったと聞く。
これは終わりの引き伸ばしである。
だから、優雅ではないし、完結性がない。
頭頂部の印象が無い。
「おしまいの形」が見えないのである。
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◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2011年9月10日更新