アーサーおじさんのデジタルエッセイ553

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第553 何もしなくてよかった


 島田紳助のテレビでの言葉で「何もしなくて後悔ということはできない、前へ進んでいかなければ後悔すら言えないのである」と言う。
私もいつもそう思う。
迷ったら、長い時間を掛けて吟味するにしても、結局は突き進んでみるということにしている。
 しかしまあ、悩むくらいのことである。
それにぶつかると突然、何も出来なくなり、世界の正像が掴めなくなる程である。
夜も眠れない。
苦しい。
本当にどうしたらいいのか。
逃げ出したい、逃げたい。
何度もそう思う。
遊べないし、読書をする力も無くなる。
さっきまで元気であったことが嘘のようで、どうしたら、元気に振舞えるのかが思い出せない。
急な坂道で巨大な砂袋を積んだ荷車を押し上げるような時間がつづく。
全てがマイナスに動いたらどうしよう。
助けて、助けて。
神様、教えてください。
叫びながら、時が重ねられる。
夜が来る。
天井が落ちて来るような重圧。
空気が重くて吸い込むこともできない。
そういいながら、コトッ、コトッ、と最悪の舞台への準備が出来てくる。

 起こった時は、起こった時。
行動をシュミレーションする。
それが明日の人生であるだけだ。
そうして、いつか少し眠れる。
 それだけ考えて、すること、しないことを決める。
よし、進むぞ、あるいはよし、やらないでおこう。
 そうすると明日が来る。
後悔はない。
しないでもよいのであった。
それは不毛な誘惑だったのかもしれない。
同じような悩みでありながら、動くべき事件と、不毛な誘惑が識別された。
ああ、こんなにも分かり難いのだ。
やはりいつでも動くべきとはいえない。
「考え抜く」これが一回ごとに困難な、人生の局面なのだった。
  

             ◎ノノ◎   
             (・●・)
               ー

         「また、お会いしましょ」   2011年7月30日更新


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