アーサーおじさんのデジタルエッセイ552
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 世田谷区に芦花公園というところがあるが、これは明治の文豪徳富蘆花の最後の住居とした地が由来である。
			 たまたま、この文豪生地の熊本市内の旧居を訪れた。
			近所に用があったのだ。
			地図で気付いて訪れることにしたのだ。
			住宅地の一角にうっそうと森が見える。
			そこに黒ずんだ古い家屋が眠っている。
			生地は水俣のようだから幼年期を過ごしたところなんだろう。
			明治時代の建物なんて、今やどれも似たようなものである。
			揺れる鉛ガラスの奥を覗き込めば、闇の中に使い込んで埃を被ったような調度品が見えるだけだ。
			あとは蝉の声。
			当時は人気作家だったらしいが、私は読んだこともないので、それ以上は意味もない。
			 見ると家屋の左側の厠に解説札がある。
			明治天皇が当地に御幸されたとき、宿舎にすることになったある邸宅に厠を新築したが、天皇が使用されなかったので、のち徳富家が自宅への引き取りを申し出たとある。
			 うーん、これはどう感心したものか?
		

 すごいというべきか?
			しかし何がすごいのか。
			天皇はご使用にならなかったのだ。
			あるいは用済みだから安かったのか、その逆で獲得に巨額を要したのか?
			何をこころに留めたらよいのかが判然とはしなかった。
			かつて私の友人が、来日したミック・ジャガーのタバコの吸い殻をこっそりと収得し、保管していると聞いたことがあるが、それは使えるものではない。
			こちらは日常使い込む家屋の一隅である。
			 天皇といえば、私だって昭和天皇の御幸でご使用になる予定(あるいは使用後であったか記憶曖昧)の便器に触った経験がある。
			ホテルの仕事でその部屋を訪れて知らされ、解説を受けたのだった。
			世の中にはどういう意味で受け取るべきかが分かり難い「自慢?」があるものだ。
			それでいて結構インパクトは強い。
			  
              ◎ノノ◎
			              (・●・)
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          「また、お会いしましょ」  2011年7月23日更新