アーサーおじさんのデジタルエッセイ554

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第554 だいじょうぶ、ですか?


 朝の改札を出たら、SUICAカードの残額が少ない。
チャージのために券売機をいじっていたら、隣でJRの路線図を見上げていた男性が話しかけてきた。
日本人かと思えば、そうではないらしい。
英語で「T駅なんとか」と話し掛けて来る。
“飛んで火に入る夏の虫”だ。
実は私はこの駅の外国人案内オタクなのだ。
OK、T駅なら、うーんと、三つ目で青い車両に乗り換えていけばよい。
シナガーワ、もう一度、そこで訊いてください。
どこから来たのですか?
マレーシア?
ツーリストですか?
え、会議?
そう、良い一日を。
「サンキュー!」
 彼は安心したように喜んで去った。
 私も日常の習慣で朝は急ぐ。

しかし気がついた。
なにT駅?
ならば横須賀線は乗り入れだからここからも直接出ているじゃないか!
乗り換える必要はないのだ。
まずい伝えなきゃあ!
路線図には表示されていないのだった。
それに山手線のどちらか間違えずに乗っただろうか?
どうして確認して伝えなかったのだろう。
戻ろうか?
しかし、後の祭りである。
私は彼の名前も電話番号も持っていない。
全ては投げられた球なのだ。
彼は無事にT駅に辿り着くだろうか?
しばらくモヤモヤとする。
 こうやって、後から追いかけたくなるケースは何度かあった。
しまった、と思ったり、吟味すれば大丈夫だと思ったり。
人は偶然の中で自分の「義務」を見出すみたいだ。
瞬間の立場だけれど、そこに見えないものから指示された役割があるのだろう。
それに応えることは主体的な人生とは別の貴重な人生である。
 20年程まえ、息を切らしながらゴツゴツした伊予の遍路道を登っていたことがある。
行けども、行けども人気がない。
道を間違ったら面倒だなあ、と思った時、おでこの高さの木の枝に「へんろみち」と書いた札が下がっていた。
それは誰かの「声」のようだった。
こういう人の積み重ねで「へんろみち」が生まれている。
あとから来る人のことが気になるのだ。
未来に向けて「あの人は無事に着いたかなあ」と振り返るのだ。
  

             ◎ノノ◎
             (・●・)
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         「また、お会いしましょ」   2011年8月6日更新


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