アーサーおじさんのデジタルエッセイ532

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第532 万華鏡


 人生はいわば、遠くの物を見なければならない時に、その望遠鏡に激しく憧れるということがあるかもしれない。
もう少しはっきりと言えば、ボール紙を丸めた筒でもよいのだ。
あるいは壁の穴でもよいが、現在の居場所から動こうとしない者にとっては、その壁の穴を崇拝し、大好きになるということがある。
 人生なんて、誰でも碁盤の目のどこに位置するかの違いだから、各人、そこから見える風景は違っているのだろう。
けれどもいつでも自分は正確に世界を知っているような気がして生きていく。
生まれたてでは母の胸元、そしてその家の匂いから始まる。
やがて親戚のおじさん、おばさん、近所の様子。
初めて口にする野菜やお菓子の不思議な味。足で駆けるようになると随分と世界は拡がり、いつでも好奇心が満たされ揺らいでいる。
そう、誰かを通してその向こうの異世界を知るのだけれど、しばしばその誰かの方に世界の存在があると思う。
そう思われた方もまんざらはない。

 「あなたがいないと死ぬ」
 本当にそうだろうか。
それは表現だ。
それは嘘だろうけれども、そう言われるのがしばしば人は好きだ。
いつか人はそこから向こうにもう少し世界が広がっていることに気が付くかも知れない。そうすると「死ぬ」と言ったはずの人は後ろ姿を見せて離れていく。
「あんなに言ったじゃない!」と引き留めても無理だろう。
自分が単なる衣装を着た万華鏡だったと知っていて時間を共有していただけじゃないか。
万華鏡であることが、相手の誤解であるうちはよい。
でもそれは相手次第である。
それからはあなたがいつでも万華鏡であるように努力する必要もあったのか、と考えていたら良かったかも知れない。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2011年2月26日更新


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