アーサーおじさんのデジタルエッセイ533
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 世の中を掴むことにありとあらゆる人が努力をしている。
この世の中のとても難しく複雑なことについて、「なぜか?」と考え抜いている人たちがいるわけだ。
そうしてそこに理論や原則を見つけ出す。
けれども原理・原則自体が複雑で理解しにくいことは多い。
その中から抜きん出てしっかりした理論が登場することがあるが、それは大抵「シンプルで美しい」と言われる。
アインシュタインのE=mc2(二乗)というものシンプルである(らしい)。
さて、ちょっとばかし科学少年であった七歳前後の私は、デパートの薬品売り場に置いてあった20センチ程の「アシカの電動ディスプレイ」に驚いていた。
それは実によく覚えている。
それは首を高く持ち上げたスポンジ製のアシカが口の上にカラフルなボールを乗せて、体を実にくねくねと動かしているディスプレイであった。
不思議だがボールは安定して動かない。
幼い私はそれを何度も何度も眺めに行った。
そのころ私は動くおもちゃや模型の原理を調べることに専念していた。
例えば台下のボタンを押し上げると、くにゃ〜と倒れ込む動物のおもちゃなど見ると、それがゴムの紐で固定された小さな積み木の組み合わせであると分かり、家で再現したもの作ってみたり、また各種のクレーン車を糸とボール紙で作って動かしたりしていた。
しかしこのアシカは、まことになまめかしい生物的な動きをしていて構造が分からなかった。
モーターや針金の組み合わせで頭の中で設計してみた。
けれど、どれも接点がうまくいかず不完全。
あんな丈夫そうな造作にはならない。
図面を考えては薬品売り場に出掛けた。
だいたい、薬の広告ディスプレイになっているものがそんなに複雑な構造物なわけがない。
不思議なままに何年かが過ぎた。
ある時、目の前に構造が現われた。
それはアシカの体内でたった一本の太い針金が上を向いているだけで、それをモーターで回転させている。
ただし、それを途中でぐにゃりと弓なりに曲げてある、尺取り虫のように下部と上部が同じ位置にあるだけだが、巧妙にアシカのスポンジで覆ってあるので構造が見えないのだ。
もう確認は出来なかったが、私は複雑に見えるものが多くの場合に考え抜けばシンプルにもなり得るのだと、勝手に目の鱗を落としたのであった。
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2011年3月5日更新