アーサーおじさんのデジタルエッセイ531

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第531 人生の断片。帆走・並走


 私は久しぶりに、人の混み合う美術館に出掛けていた。
本来ならばそうはしたくない。
まるで東京駅のホームで出征兵士を見送るように人々の頭越しに絵画を見送るのは好ましくないからだ。
けれども、まあそうして見ることもある。
そうするとどうなるか。
そうすると絵画の他に、人を見ることになる。
それだけの展覧会であれば、素敵な人も多い。素敵な人とは、清楚でスマートな、身なりの良い女性のことである。
その後ろ姿あるいは横顔である。彼女達はフェルメールのプロフィールのように静かでひっそりとした小さな光の中にいる。
背後からその人の耳と頬ごしに作品を眺めることになる。
それは悪くない。
上等なコートの独特の明るさが印象的である。
 美術館は完結した小さな人生である。
そこで気が付くことがある。
それはコーナーを幾つか回って、解説の白いパネルを見る時である。
また、光が充てられた肖像画を見るときである。
そこに同じ横顔が現われる。
あ、この人は先ほどの人。よく考えれば、何十メートルもの間を、ほとんど一緒に歩いていたのだった。
ペースが違わない限り一緒に歩いているわけであった。
彼女が横にいるか、私が彼女の前にいてその人の視界を遮っているか、あるいは私が彼女の後ろ姿を見ているかの違いである。
私と彼女のコートは気付かずに触れていたのかもしれない。
順路というものがある限り、行ったり来たりしている。
彼女とは鑑賞での同期生である。

 私は人生のことを考える。
 自分の意図でなくとも、互いに近づいたり離れたりする人。
そういう時に、私がいつも連想するのは、大海原で帆走するヨットである。
いつのころからか並走するヨットに気が付く。
後先が入れ替わる。
追いかけているわけではなさそうである。
一体どこに行くのだろう。
目的地が同じなのだろうか?
私たちは手を振る。
もしも波の音が無ければ少し話をし、名前を訊いたかもしれない。
太陽が眩しい。ふと気が付くころには、もうその姿はない。
青い海が波を立てているだけである。


             ◎ノノ◎   
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2011年2月19日更新


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