アーサーおじさんのデジタルエッセイ513

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第513 よろこびについて


 僕は誤解していた。
小学生の社会の教科書に一枚の写真があった。
関東大震災時の市民の写真とあって、なんと数人の婦人が裸で水浴びをしている光景があった。
瓦礫の中に破裂した水道管の付近に集まって水浴びをしているらしい。
しかもその人々が笑顔であるのだ。
「どうして被災地で笑っているのか」不思議であった。
私にはまったく理解できなかった。
 しかしである。
つい近頃、なかなか読み通せなかった、フランクルの「夜と霧」を読んだ。
デスクで読もうと、リビングで読もうと、昼間の公園で読もうとも、内臓が重苦しくなるほどの重圧を受け止めざるを得ないこのアウシュビッツやその他の収容所での体験記録は、暗くて突き刺さる。

心理のR25とでも言うような厳しい書物である。
その内容はここでは省きたいが、その中で、今回気付いたことがある。
それは、収容所でかろうじて(というよりも必死で傍から見えるのとは違って積極的に)生き延びようとしていた、精神科の医者フランクル氏達が唯一「狂喜」した事件である。
 彼らは突然に点呼をさせられ囚人貨物列車にスシ詰めにされて二日三晩の輸送後、別の収容所に運ばれた時のことであった。
着いたところがどこか分からない。
これで何度目だろう。もはや最後かも知れない。
終着駅となるのかも知れない。(そういうことは何度もあり、仲間が消えて行ったからだ)すると誰かが情報をキャッチして皆に伝えた。
「ここ(ダッハウ)にはかまどがない!」
 すると心身ボロボロになっているはずの皆が、歓声をあげ飛び上がって踊り始めた。
ひどく昂奮し、上機嫌になって冗談まで出たのだ。(P133〜)「この収容所にはガス室がない」というメッセージは、殺される可能性が間接的になったということであった。
そう、どんなに死に近い強制労働であっても、それを克服すればよいという希望が生まれたからだ。
彼らは垢じみた薄いぼろを纏い、骨と皮ばかりの体で、しらみや凍傷と戦う日々であったのに、笑うことができたということであった。
そうしてみると我々の人生には、あまりにも多くの剥奪可能な「豊かさ」ばかりに思えてこなくもない。
         

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2010年10月2日更新


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