アーサーおじさんのデジタルエッセイ512
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 復活したイエスは、弟子の前に現れた。
			磔刑に遭って死んだはずだと疑った弟子にイエスは処刑の際の傷跡を見せたのである。
			 以来、信者や聖人の身体に現れる不思議な傷を聖痕と呼ぶ。
			聖痕は、キリストの受難において釘を打たれた左右の手足と、ローマ兵の槍によって刺された脇腹の5箇所に現れるとするのが一般的であるが、キリストがかぶせられた荊冠に由来するとされる額の傷や、十字架を背負った際についたとされる背中の傷なども含まれると言う。
			 人々一般の魂に、深く深く刻まれた出来事としての歴史の記憶が、非常に分かりやすい形体を得たのが奇跡や神話ではなかろうか。
			印象深い歴史はなかなか消えないで、現世に繰り返されるのである。
		

 通勤電車の中に滑り込む。
			人に押されて右か左か、瞬間的に選択する必要があった。
			その時、私は背の高い若い女性が吊革にぶら下がっている方向に惹き付けられた。
			私は理性と、原始的な本能が一度に高揚するような不思議な気分になった。
			その女性は長い髪で美しく、全体にハーフトーンで透き通るような輝きがあった。
			けれど私は次の瞬間、まるで激流を下る筏の切っ先を岩から逸らすように、体を少し回転してそちらを避けた。
			それは、その透き通る蝋細工のような腕の内側に聖痕を見たからだった。
			長い手首の上からセンチ刻みでおよそ5つばかり、階段状に目盛のような傷があった。
			彼女の白い肌と同じ美しく白い刻みが規則正しくめくれていた。
			私は高揚が、震えに変わるのを感じた。
			それは驚くほどの素早さで変化した神経系統の内的信号であった。
			彼女は依然として美しいままに、日常から切り離されるような聖なる畏怖をもまた人々に発していた。
			はっきりとオーラに輝いていたのだ。
			 私はそれが何か重い運命を引き受けた人生である証明としての「スティグマタ」を見たと思ったのである。
			リストカットであれ何であれ。
         
			              ◎ノノ◎   
			              (・●・)
          「また、お会いしましょ」 2010年9月17日更新