アーサーおじさんのデジタルエッセイ495
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 文化ってへんだ。犬でも猫でも、料理を皿に盛り付けることなどできないし、折り紙を折ることもできない。
			猿なら、芋を海水で洗う種類があるという。
			猿真似から始まるらしい。
			つまり猿真似はすごい。
			猿真似が人類の文化を作っている。
			人間がひとつひとつの人生を各人のオリジナルで生きたら、たいへんに効率が悪い。
			それは想像がつく。
			長ーい、長ーい猿の時代があったからこそ、猿真似が「膨大に重なって」文化人に近づく。
			あまり真似しないで育った人生もあるらしい。
			二十世紀初めごろだったか、インドで狼に育てられた姉妹がいた。
			狼だから猿真似がない。
			そのせいで二本足歩行をせず、四本足で歩いていた。
			膝が(足が)摺り剝けただろう、気の毒に。
			人間の子供であっても十分に教えてあげなければ発達できず、結構本人は苦労することになる。
			つまり見かけは二本足歩行でも、心理的には、あるいは心の内部では四本足歩行の人生もあるだろうということ。
			気の毒に。
		

 知らないと、エビを茹でる前に背ワタを取る、ということが全然分からない。
			筍を茹でる時にアクを抜く、ということも分からない。
			魚をおろすのに、鱗を剥ぎ、頭を外して、三枚に分け、背の骨を切り取り、刺身に切るとか、ビールの缶のプルリングをプシュ!と抜くとか、グビグビも高度である。
			熊は大好きなジュースの缶を狙う。
			でも爪で冷蔵庫を叩き開けて、缶を丸ごとガブリと噛んで、こぼれ出して、床に流れた汁をチュウチュウ吸う。
			つまり、グビグビとはいかない。
			気の毒だ。
			ほとんどが零れてしまうから。
			ああ、猿真似は幸せの始まりだなあ。
			              ◎ノノ◎
			              (・●・)
          「また、お会いしましょ」 2010年5月22日更新