アーサーおじさんのデジタルエッセイ460
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 人生には、プラシーボが必要だ。痛いときに、そっと手を当てて「痛いの、痛いの、トンデケー」と何度もさすってくれる人がいればやっていける。
			 四面楚歌の麻生総理は、誰も誉めないし、もう言うことを聞いてくれない。
			それでもキッと目を開けて、厳しい質問に答える。
			心の中では「たすけてー」と叫んでいるのだろう。
			銀座にも二面がある。
		

華やかな銀座の裏に、「ノクターン横丁」の壁の隙間のようなあまたのバーが潜んでいる。
			細いトイレの入り口のような、階段を下りてさらに奥に進む。
			ほとんど、地下炭田に達するかと思えるほど奥。ここはもう「銀座」ではない。
			地上の流行や賑わいには無縁の世界。
			ガスメーターやブレーカーの壁面の下にバーの名前を装飾した扉が見える。
			先客の背中と壁を擦りながら、カウンター席に陣取る。
			一家の主たる「ママ」がいて、それぞれのコンセプトで客をもてなす。
			奥に座る背広の人物は水割りのグラスを前に沈黙している。
			ひとことも喋らない。
			「あの人は、ああやって12年くらい来てるわ」とママが囁く。
			どこにも言い様のない胸の痛みを、この地底の椅子に座って慰めるのだろうか。
			もし一回に二千円払っても、12年では、大変な金額になるだろう。
			 事情があって、まっすぐは帰れない。
			客足が減ったとき、ママが「どうしたの、元気?」「キンピラでいい?」と掛けてくれる声、それだけで大人はまた明日を迎えるのだろう。
			それならそれで、きっといいのだ。
			 顔が売れ過ぎた麻生総理は、どこに行くのだろう。
			数日したら、そういうバーを久しぶりに訪れてみようと思っているかもしれない。
			(後日、実際にそう言っている記事があった)
              ◎ノノ◎
			              (・●・)
          「また、お会いしましょ」  2009年9月12日更新