アーサーおじさんのデジタルエッセイ416
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 眼と眼を合わせるときの危険性を少し前に書いたと思う。
			眼を合わせるのは攻撃の兆しなのかと思いきや、眼を合わせることを、それとは反対の理由で避けることもある。
			愛情の兆しでもある。
			なんといっても野生生物を保護しケアした後、野生に放つには視線に注意しなければならない。
			ボルネオのオランウータンを保護し、野生に戻す活動をする人たちは、面倒を看ている間、彼らと目を合わせてはならない。
			あわせると「母性」のような力が生じて、彼らに依存心を植え付け、世話人から離れなくなってしまうからだ。
		

 なんなのだ。
			眼は何かの入り口・出口のようである。
			そこから、フィルターの掛からない「感情」が交流するらしい。
			あなたがそこから憎しみを流し出せば、相手にそれが届く。
			愛情を流せば相手はそれに打たれる。
			そういう作用に弱い人もいるだろう。
			そういう人は大抵サングラスが好きだ。
			攻撃を感じ取ると、野性の衝動で反応して理性を失う。
			うっかりと愛情を受け取ると、足場を崩す。
			感情の出し入れには、それなりの経験と訓練が必要だと思う。
			だが、すでに過ぎてしまった赤ん坊のころの経験なのかもしれない。
			 
			             ◎ノノ◎。
			             (・●・)
         「また、お会いしましょ」  2008年6月21日更新