アーサーおじさんのデジタルエッセイ415
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む いい話を聴いた。昔の食えない武士はどうやって諸国漫遊をしたか・・・。
「雨あがる」という映画で腕の強い侍が、旅の路銀をふやすためにちょっくら近くの道場に出かけ、道場破りをして金子を手にする話があった。
では、腕に自信のない旅の浪人はどうしたか。
実はこちらも、ちょっくら近くの道場に出かけたのだ。
「旅の者で、伊集院小手先流で師範代を勤めたことのごわす松井伊知郎左衛門と申す旅の者でございます。ひとつお手合わせばいただけませんでしょうか」と丁寧に仁義を切って、練習に加わる。
一同は、破顔一笑して「おー、薩摩からはるばる!」とか言って突然の訪問者を道場に迎える。
「薩摩って琉球のことか?」中高生くらいの若侍おにいちゃんたちは好奇心満々で、客の一挙手一投足を見守る。
技のひとつひとつを道場の手合わせで試したり、説明して交流したかもしれない。
だいたい浪人は、腹が減ってまともに戦えない。
もし強いとしても、相手を負かしたりはしないで、適当なところで「いや、参りました」と明らかな試合放棄を宣言したかもしれない。
外ではひばりが鳴いている。
ほどよく交流が出来、汗を流したところで、膳が出される(せいぜい一汁一菜か)。
「さ、腹が減られたでしょう」
「お国の作物はなんですか?ほう、芋がぎょうさん取れる。しかも甘い?」などと文化交流して、友達になるかもしれない。
「これから東海道で板東まで行かれる、なるほど」と、去る前に一握りの糒(ほしいい)が渡される。
これが昼や明日の食事になる。
なんだ、弱くてもよかったんだ。
安心した。
股旅と同じじゃないか。
でも腕があれば、もっと歓迎されたかもしれない。
「暫くご滞在の上、ご指導いただけませぬか?」など信頼される。
その後、文通などもあったかもしれない。
まことに芸は身を助く。
腕はあるに越したことはなさそうだ。
◎ノノ◎。
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2008年6月14日更新