アーサーおじさんのデジタルエッセイ40

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第40話 不在のカレンダー


 通い慣れた露地を歩いていると、ある区画が工事中である。こぽっと歯が抜けた商店街。都会の大地が露出して、突然の地面の広場である。

 ああ、ここも何かが建つんだ。と振りかえる。ところでここに何があったっけ?
花屋は、隣か。そう、布団屋?違う、また隣にちゃんとあるじゃないか。
では、一体なんだった?どうしても思い出せない。
こんなことがよくある。こうして街は姿を変えていく。

 部屋のカレンダーを見ると、去年の6月で止まっている。
理由はあるにはある。

 6月の写真が気に入っていたのだ。樹海のように深深とした緑の森の写真である。さて、新しい21世紀のカレンダーを取り出す。

 森の写真を外す。と、あ、そこに生まれたのはあの露地の感覚だった。広い壁が不思議だ。無い。なにも無い壁を暫く鑑賞することになる。

そして、新しいカレンダーを掛けてみる。あ、新しい"建物"の登場。派手で目立つ。家族の誰もが気づくだろう。

 そうしてたぶん6月頃には、気に入った写真でストップし、壁の図柄となり、街の姿のように埋没するのだろう。馴染む、ということ。脳がOKを出したとき、全ての環境は自分の一部になり、見えなくなるのだ。それがわかるのは「不在」においてである。

     

            。

             ・●・。

              

         「居るんだもん・・・」 2000年12月29日更新


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