アーサーおじさんのデジタルエッセイ333
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む  久しぶりに空模様が明るい感じがした。駅まで歩く間に何か胸騒ぎがする。
			長い間、何かを失っていたという気持ちがする。
			風が心地よい。
			自分は何を待っているんだろうか?
			 神経症の治療に一週間の間、部屋から一歩も出ないで耐え、それから外界の経験を始め直すというものがあるが、その解放の時に鳥の声が美しく聞こえるという話がある。そう、わかったぞ。どこかに鳥の声を聴きに行きたいのだ。
			 お願い、鳥の声を聴かせておくれえ。
		

 鳥の声というものは、外から聞こえるのではない。
			それはおそらく、こちら側の準備が整い、そういった「望み」が満ちる時に聞こえてくるものなのだ。
			まるで、昆虫が草の柔らかいところを選んで、はくはくと食べたり、鈴虫が胡瓜を噛む時のように、調味料など一切ない命の片鱗を「ああ、うまい」と食(は)むときの味わいなのだ。
			自分の歴史の中で、これまで聴いた幾つかの鳥の声が、突然に思い出された。
			あの鳥はどこに飛んでいって、今どこにいるのだろうか。
			どうしてもう一度、姿を見せてくれないのだろうか。それは鳥のさえずりではなく、まるで僕の生きる意味だった。
			意味は考えたりするものではなく、他愛もなく突然にやってくる。
			外からは見えないが、自分のどこかで涙が溢れてくるようだった。