アーサーおじさんのデジタルエッセイ332

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第332 オシボリの列


 「石田徹也」というひとの画集を本屋で見て驚いた。彼は、語ってはいけないことを語り、見てはならないものを見たのではないか。
踏切事故で死んだというが、そうだろうか。
 今私たちは一生懸命生きているつもりだが、なんだかカタログのページをめくり、注文を繰り返しているような生き方かもしれない。
彼はそれが見えたし、夢にも見続けたのかもしれない。
それは数十キログラムの肉の塊としての人生の辛さ、痛さである。
 幸せな家庭に育ち、良い学校に行き、良い就職をし、まあまあの収入で、夏と正月に休み、たまには海外ツアーなどもし、電子レンジをチンと鳴らし、テレビを見て笑う。
会社にはクールビズで出勤し、エクセルを使い、それなりのストレスを溜め、居酒屋に入り、オシボリで顔を拭き、「とりあえずビール」と言い、生ビールを飲みながら愚痴を言い、笑い、ワリ勘で支払いをし、そうやって時間を掛けて、中性脂肪とコレステロールを溜め、ウォーキングを始め、保険を見直す。

 これが、用意された生き方でなくて何だろう。
でも用意されてない生き方なんてあるのだろうか。
 まだ会社の終了時間には満たない夕方に地下の飲食街を通った。
開いた暖簾の奥に居酒屋の並んだ木のテーブルが見えた。
客は誰もいないのに、テーブルには4つずつ白いオシボリが並んでいた。
農地の畑のように遠くの壁まで整然とならんでいた。
帰り始めたサラリーマンに店員が「御席あります。いらっしゃい!」と叫んでいる。
やがてそこは人々で満員になる。
私達はプログラムに沿って、刺身やサラダを注文し、疲れを癒し、プログラムに沿って笑って生きていく。
(※検索エンジンで「石田徹也」の関連サイトを参照してください)

             ◎ノノ◎
             (・●・)。

         「また、お会いしましょ」 2006年10月15日更新


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