かつて、昭和天皇が「雑草という名の草はありません」と言われた。天皇は植物学がご専門ではなかったか。
			
			ある番組の中で中村玉緒さんが鵜飼を手伝い、その時に「"鵜"というものは、可愛想なものでございます。名前が1文字なんでございます。1文字なのは、鵜と蚊だけでございます。」と言って皆を笑わせていた。
			
			 名前はその存在にとって重要であり、認識されず名前が無いことは「存在」の無いことにも通じる。
		
あるいは、存在しないものには名前が生まれない。これは確認できていることではないが、エジプトには"雨"がない。言葉が無いのだ。「どうして?」と尋ねたら、「雨が無いからだ」と、通訳が教えてくれた。可哀想なエジプトの雨。
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 かつて仕事でカイロ滞在中に、砂嵐のあと、地面に黒い染みがつくのを見た。
			「雨だ!」エジプトに雨が降っている!
			僕は周りの人間に叫んだ。
			
						しかし、誰も騒ぐ者はいない。
			
						街は埃にまみれた男や女達の相変わらずの罵倒と喧騒の連続。
「だって、本当に雨だ」ともう一言、伝えようとしているうちに、雨は終わり、染みは消えた。
			
			彼らは気付かない。
			
			言葉が無いものには、誰も気が付かない。そんなものか。
			
			 「ボスニア・ヘルツェゴビナ」もこないだまでは存在しなかった。「アメリカ新大陸」も、かつては存在しなかった。「経済」も「神霊写真」も言葉とともに生まれたのかも知れない。
			
		
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            (・●・)ゞ
		
 
		
「お布団がふえた」 2000年11月1日