アーサーおじさんのデジタルエッセイ318
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む ある話を思い出した。幼い頃に、韓国から命からがら引き上げて来たKさんが、晩年になってから訪問を考えた。
自分が育った町、そして小学校はどうなったのだろうか。
もう一度見てみようか。
そうして意を決して、海を渡った。
当地に詳しい両親も今は無い。
地図を見ながら、たどり着いた町は別物であった。
尋ね歩いて、確かここに小学校があるという場所に立った。
何もそれらしきものはなく、片鱗も見当たらない。
あきらめてうろうろするうちに、路地に入った。
その時、Kさんは異様な気分に襲われた。
それは路地から見上げた山の稜線であった。
5〜6歳の少年が、笑い泣き、走ったり、仲間とチャンバラをしたり、苛められて悔しい思いをしたり、お腹をすかして夕方の家の料理の匂いを嗅いだり、そうした記憶の鍋の底の底に、沈んでいたかも知れない日々の見慣れた形の風景がそこにまんま、座っていた。
それらに触わる一切がゾロリと呼び覚まされたのだ。
幼い時期の意識も出来なかった記憶が、その山の形にあった。
Kさんは息が止まり、全身に鳥肌が立った。
それは、懐かしいというものではなく、悲しいような、恐ろしいような感触であった。
予期せぬ角度から柘榴が割れて、飛び込んできたものは、復活した様々な濃密な感情であり、肉体に纏わり付くリアルな存在感だった。
過去はいつでも少し洗濯されて、漂白されている。
人はもう、夢に見る事すら忘れた過去があるのかも知れない。
暗闇で蹴飛ばした記憶の小箱は思わぬパンドラの箱であった、ということがあるかも知れない。
「また、お会いしましょ」 2006年6月10日更新