アーサーおじさんのデジタルエッセイ315

日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む

第315 千夜一夜の物語り


「夜になると、あれがやってくる。

私は、いい顔をしてみせて、ひとつのお話をする。

それを気に入ってもらう−−命が延びる。

また明日が来る。

わたしはそうやって、一夜の命乞いをして、生きていく。

これをいくつ続けただろうか。

ああ、少し疲れた。

でも、まあ、今夜のお話は出来映えがよかったではないか。

なかなかのものだ。

これならこちらも話す楽しみがあったと思える。

しかし、明日はどうなるか?

空っぽになったこの頭で何かが生み出せるのだろうか。

それを考えると震えが始まる。

まあ、いいや。少し眠ろう。

命が続くかどうかは、明日の頭の冴え具合に任せよう。」

 あなたも、そうやって生きているかもしれない。

一日、一日命乞いをして生きているのかもしれない。

そうやって仕事をつないで生きていく。

年に20日間だけお休みがもらえる。

無駄にはできない。

 そんな事をことさらに意識しなくとも、人間や生命はそうなのに違いない。

空気を吸って、吐く。

こういう瞬間の積み重ねが世界に対する命乞いである。

苦しみも喜びもこの中にある。

さらに私は、自ら好き好んで一週間ごとに、「メール語り」を繰り返している。

ああ、来週はなにか生み出せるだろうかと、命乞いを考えるのである。



             ◎ノノ◎
             (−●−);

         「また、お会いしましょ」  2006年5月20日更新


日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む