アーサおじさんのデジタルエッセイ288
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む おばあさん、おじいさん。桃太郎の時代のその人たちは、たいした物も食べずにささやかに暮らしていた。
欠けた茶碗がふたつ、鍋ひとつ。
庭にある野菜、あるいは山菜、たまに小魚、そんなものを鍋で煮て食べる。
燃料は山に落ちている折れ柴。茶碗は川でぴちゃぴちゃと濯げば終わり。
朝が来て夜が来る。
こんな人が今は許されない。業績を上げないと人は査定が下がり、リストラの恐れもある。
誰もが「どれくらいの業績」を上げるかで価値づけられる。
人が物差しで計られるのだ。
だから、働き盛りの人間以外は「終わった」人とされる。
人生の自己責任を背負わされるという。
それは、まあ、間違いでしょう。
社会は業績を求めるかもしれないが、人生は業績を求めない。
そんなもん、どこにも持っていけない。
一日に食べられる量を増やすと成人病になるだけだ。
睡眠を削ると、楽しさは減るだろう。
動物園の経営には業績が介入するかもしれないが、動物園の動物の生き方に業績主義はない。
ライオンとカバとどっちが働いているということはない。
モモンガはモモンガ。
ナマケモノはナマケモノ。そのままなまけていればいい。
ライオンが笑顔でお辞儀をしているなんてとんでもない。
パンダが時間になると、スケジュール通り踊るなんて気持ちが悪い。
業績主義にはうろうろされては困ると、この頃、思う。
「また、お会いしましょ」 2005年11月13日更新