アーサおじさんのデジタルエッセイ282
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 自分を信じている、と思っている人には恐怖であるが、人間の意識なんていいかげんなものである。
河合準雄さんが、自分はいいこと言うなあ、と思ったら、昔読んだ書物の受け売りだったのが、あとで分かることがしばしばある、と言うのである。
私は先日、人権差別の標語に応募して名作が出来た。
『“ヨン様”以外は、“ヨソ様”ですか』だった。
落選。
あとでみんなに言われたのは、そんなの誰でも使ってるということであった。
世間でよく言う駄洒落だそうだが、自分はオリジナルのつもりであった。
同時発生ということもあるだろうが、もしかしたらこの記憶の再帰現象かもしれないと思い始めた。
どこかで、目にして眠っていたものが、目覚めたのかもしれない。
悲惨だったのが、目も耳も不自由なヘレン・ケラーの場合であった。
彼女が書いたものに、全く同じ他人の著作があり、盗作が疑われたのである。
彼女は随分と昔にそれを読み、すっかり記憶していた。
そうしていつの間にか、それは彼女自身の意見であり思想であると考えたのである。
なぜなら、目の見えないヘレンの「頭の中に“あった”」からである。
彼女は世間の非難に深く傷ついた。
自分の頭の中身は“自分”ではなかったのだと。
なにげない仕草や考えが、親と同じ。
それならまだいい。
書いた文章が、何かの繰り返し。
他人の復元。
そう思うと、なにもかも不安になる。
生きてきた自分という存在にオリジナルはなく、ヨソ様のつぎはぎで出来ているのだろうか。
「また、お会いしましょ」 2005年10月2日更新