アーサおじさんのデジタルエッセイ283
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む人生の恐ろしい出来事は、それが見えない状態で起こっていると思う。
例えばこんな光景じゃないか。
あなたは、衣服を脱いで目の前の池に足を浸す。
少しずつ体を沈める。ふくら脛がかくれ、膝が沈み、腰まで浸かる。
辺りは真っ暗で、なにも見えない。
水は黒くて墨が光っているようにしか思えない。
やがて思い切って、あなたは体を投げ出し、その池に飛び込む。
同じように水中の闇は、魔物の体内のよう。
水中には様々な生き物が泳ぎまわっている。
それは見えないが、“感じ”で分かる。
時折、肩や脛に遊泳体のセビレのようなものが触れる。
ユラ。
サラ。
伸ばした右手の小指に触れたものがある。
それは柔らかく反発し、ざらついた感触があった。
大きな体積があり、池を動かしたと思った。
それは確かに水中に棲むとてつもなく巨大な生命体であり、ひとつではなく、群れて闇の液体を埋め尽くしているかもしれない。
だが、皮膚で知る以外その姿は見ることの出来ないものだった。
あなたはどうして潜ってしまったのか。
あなたは、惹きこまれたのだ。呼ばれたと思ったのだ。
水中に飛び込んだあなたは、例えば、愛・恋愛の衝動に囚われたのであり、現実を見失ったのである。
しかし、人はしばしば、現実を知るために、その池に飛び込まざるを得ないようだ。
得体の知れないものが蠢く自分自身の内部に飛び込むのだ。
「また、お会いしましょ」 2005年10月9日更新