アーサおじさんのデジタルエッセイ279
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 今から二十年前の八月十二日、関東で飛行機が墜落した。
その一週間ほど前のこと、電話があった。
義父が亡くなったという。
そのころ僕らは地方にいたのであまり会えていなかった。
「あ、」と思った。義父には何かを聞かねばならなかったはずだ。
話の途中で姿が見えなくなった、のだと思った。
彼は、私達の知らない戦争を知っていた。太平洋戦争の少し前のその原因の一つを作る戦争を知っていた。
私たちは飛行機で葬儀に向かった。
関東で落ちた飛行機は、もちろん通信が消えてから「どこに落ちたのか」が探索された。
読みにくい名前の山、御巣鷹山だと分かったのは暫くしてからだ。
多くの人が随分と苦労をして、悲惨な遺体の回収作業がされた。
航空事故にはまれに滞空時間があったため、乗客が多かったため、遺書が多く残った。
それでも、遺書は遺書。
いきなり一方的に家族を残して消えたのだ。
義父は戦争の話を、日記の1頁のようにいきなり切り取って話していた。
それは今思えば、若い少年兵の体験の話であったはずである。
「そのうち(きちんと)お話します」と終わる話。
それ以上に膨大な語られない話があるのだという意味。
私はその戦争についてその断片以外なにも聞かなかった。
義父にとっては国家の戦争とは関係のない自分の戦争が語りたかったのだろう。
葬儀が済んで数日後、世間が騒がしくなった。
日航機が御巣鷹山に落ちたのだった。
夏、いつも御巣鷹山の名が出ると、聞き終えていない義父の戦争の話が見えてこないものかと考えるのである。
「また、お会いしましょ」 2005年9月10日更新