アーサおじさんのデジタルエッセイ270
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む 人は目の前に流れ去る単なる群衆の動きを見ていても、誰かがやってくるのだと信じている。と思う。
駅の構内にあるカフェでガラス越しに、通勤の人々を見ていて、ふとそれに気がついた。
男女のせかせかした歩み、さまざまな服装。
国籍、背丈に体型。瞬時として止まることのない流れ。
だが、いつかその中で、誰かが、おそらくは異性である人のうち誰かが、こちらを振り向くのだ。
それは美しい目の持ち主であり、輝く命がこぼれるようであろう。
「あ、ここに居たの」「そう、伝えることがある」という目が向けられる。
この本質的な宿命観が人生である。
青木繁の「海の幸」という絵は、人間のこの種の宿命を形にしている。
裸になってフカを担ぐ海の男達の行列の後半に一人の振り返るひと。
輝く目をしてこちらを射る。不思議だがそれは女性の白い面立ちである。
絵のすべてはこの視線に集められている。それゆえにこの絵は名作となった。
ひとは生まれてから長い間、主観の揺り篭で育ってきた。
知的な理解をするようになるまでの長い間、客観的な世界など有り得なかった。
主観的世界イメージを疑うのはむつかしい。
それを基盤にしないで、どうして生きていけるだろうか。
「モナリザ」もその力によって生き続ける絵画である。
誰もが「自分へのメッセージ」を読み取ろうと構えてしまうのである。
「また、お会いしましょ」 2005年7月9日更新