アーサおじさんのデジタルエッセイ226
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む在京のNさんから、お盆が近づくこの時期「ホームシックになります」というメールがあった。
私は、それは『小さい頃に、幸せであった』という(神様からの)メッセージです。
という感じの返事をした。
私はホームシックをあんまり知らない。
あるいはそれが「家」そのものではない。
漠然とした夏。蝉の声。黒々とした葉の裏側の影。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)にもホームシックがなかった。
19歳、気弱な貧しい青年であった彼はまだ見ぬ異郷を求めて、世界を転々とする。
オハイオ、テネシー、西インド諸島、そして日本に辿り着く。
彼が、特に終生懐かしがったのは出雲を抱く島根の町であった。
東京帝国大学の講師になったあとも、(妻のためにも)島根に一時帰っている。
アメリカに送った数々の著作には、日本の学生や婦人、粗暴な人々の中にも、狂おしいほどの郷愁を見ているのが分かる。
そして結局、彼はどこにも帰ろうとはしなかった。
もしホームシックがあるとすれば、西洋が失っていた何物か。
東洋にある人間関係の何物かであった。
彼はその中で死ぬことができたのであった。
生地のギリシアや育ったアイルランドへ帰ろうとはしなかった。
故郷は自分を捨てた父、母の思い出に繋がるからであろうか。
「また、お会いしましょ」2004年8月15日更新