アーサおじさんのデジタルエッセイ222
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む会社の中というものは、多くの人が行き交うように、多くの用事もまた行き交う。
廊下やエレベーターでは顔を見合わせるや「おっ、あれ進んでいる?」とか、「どうも、どうも」とか言わねば、日常は進まない。
用件があって相手の席を訪れ、話をしていても、電話や他人が話しかけて来ると、中断してしまう事がある。
いつまでも終わらない遮りの会話、電話。他人の電話は夕立みたいなもの。
しばらく待つが「本降り」になって諦めることもある。
だいたい用事は済んでいるものの、その場の始末が着かない。
なぜか?相手との終了のサインが出来ていないからだ。
たぶん僕らは、短い会話にもドラマの筋立てを求めている。
落ちが必要なのだ。落ちが作れず、話を終えることができないことがある。
初めての相手だと、なおさら流れが生まれにくく、落ちが作りにくい。別に“しゃれ”のことではない。
二者の間に起こる、ささやかな化学変化=了解できる心的変容である。
パステル画を描いた後の、定着液の吹き付けのようなもの。
「じゃ!」と言うこと。
そして「じゃ」に繋がる道筋である。
人は小さな会話のたびごとに「ドラマ作り」の練習をしているようだ。
「また、お会いしましょ」 2004年7月18日更新