アーサおじさんのデジタルエッセイ221
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む風景の命というものは、好きに使用していい空の箱のようなもので、通りかかった人が、まことに勝手に使用する。
		
どうしたことか、その日は一日中が、しみじみしている。空に太陽が懸かり、風がそよぐ。
		
ガラスのような空気と光が風の影響を受けて揺らぐ。
		
住宅の塀からはみ出した木々の葉がサラサラと落ちてくる。
		
ナイフのように細長い抹茶色の葉である。
		
前を歩く女性やサラリーマンの交互に動く足を見ていると、その人の人生があり、今日の一日があるのだと、思う。
		
緑道の潅木が逆光に輝く。
		
それはどこか知らない土地で目覚めた朝の光のようだ。
		
この風景の向こう側に何があるだろうか。
		
|  | ||
これは幕であり、向こう側には舞台があるのだろうか。
		
風景は少しずつ変わるけれど、舞台は現われない。
		
カラの郵便受けの空洞を覗いているような、現実、非現実の交じり合ったここち。
		
どこかに刻まれた自分の歴史を思い出す。
		
なぜ、あの人はここに居ないのだろう?いまどこにいるのだろう。
		
あの人の時計は何時を指しているのだろうか。
		
右に大きく曲がった道路がピカピカ光る。
		
その向こうに、木々に隠れたホスピスの壁が見える。
		
車がやって来る音だけが近づく。
		
この道路を渡りきるまでにその車は姿を現わすだろうか。
		
すべて先は見えないが、この道はすべてに繋がっているはずである。
			
			
		
「また、お会いしましょ」 2004年7月11日更新