アーサーおじさんのデジタルエッセイ210

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第210話 向田邦子の映画


父は、その夫が病院にいる娘に付き添う。帰り際に娘の前で財布を取り出す。

ははあ、お金を渡すのだ。昭和60年代ではいくら位出すのだろうか?どうも一万円札とおぼしきお札を一枚取り出した。

ふむ、あんなもので大丈夫なのか?

と思うと、次の瞬間、その一枚を自分のポケットに入れた。

そして革の財布ごと、残りを娘に渡すのだった。へえ、かっこいい。でも…。

私の頭は高速回転したのか、巨大な不安がよぎった。

財布に、クレジットカードなんか入れていないのだろうか?

名刺、アドレスメモはないだろうか?

財布はルイ・ビトンなんかではないのだろうか?

残りのほうが少なかったら(二千円とか)どうするのだろう。

帰りに電車に乗るのに小銭がなくて良いのだろうか。

多くの不安は昭和60年代を考えて、カード産業もPCもブランド財布も無い時代ということで解決は着くのだが、なんだか不安は残る。

こんなことだから映画が楽しめないのだろうか。

自分で演出する癖があるのだろう。

しばしば方言が気になったり、江戸城の中がどうして蛍光灯の光に満ちているか気になったりする。

ま、楽しんでいることには違いがないかも。


             ◎ノノ◎
             (^●^)

         「また、お会いしましょ」 2004年4月18日更新


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