アーサーおじさんのデジタルエッセイ195
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む数年前、ワイシャツの首の部分が、完全には締まらなくなった。
ほんとうに、ふと気がついたのだ。ネクタイが絞め切れない。
ああ、僕も年だ、太って来たのだ。そう思ってお店に行った。
これまでよりもワンサイズ大きめのシャツを掴んで、「この程度で大丈夫でしょうか?」と店員に訊ねた。
店員は巻尺を出して僕の首の周りを測ってくれた。「○○センチです」。
それは、これまでの物と全く同じサイズであった。
「え?」怪訝な顔で経緯を語る僕に、「それは、シャツが縮んだんです」と応える。
洗濯を繰り返すと、縮んでいく。それだけのことであった。
確かに新しいシャツは、十分に僕の首を包んでくれた。そういうことだ。物がいつも一定だと考えていたのが間違いだったのだ。
長い間、衣類が縮んだら自分が大きくなったのだと考える習性があった。
が、そればかりではない。物は大きさを変えるのだ。
ある日、トイレで気が付くと、壁が迫っている。裏庭が狭くなってくる。
計ると面積が減るのだ。そんな事が起きたらどうだろう。
ある日、財布を覗くとお金が目減りしている。
これはよくある。不思議だがしばしばある。きっとお金を洗濯したのに違いない。
はっきり言えるのは、子供の頃に較べて、地球は狭くなった。
幼い頃、ブラジルがどんなに遠いところか話を聞くだけで、想像を絶し、めまいがするようだった。
それは日本に対し、地球の裏側にあって、ブラジルの人は逆さまに地球に立っているというものだった。
かの地で、その瞬間に何が起きているか知ることも不可能であった。
実際、飛行機で何日もかかると聞いた。
海外旅行とはパンナムのバッグを貰えることであった。
どうしてそんな良いバッグをくれるのか不思議だった。
飛行機の中で眠り、何回も食事をすると聞いて、跳びあがった。
あれから地球は戦争や汚染が続いて、誰かが何度も洗濯をしなければならなかったのだろう。
シャツのようには買い替えられない地球は、ずいぶん縮んでしまったものだ。
「また、お会いしましょ」 2004年1月12日更新