アーサーおじさんのデジタルエッセイ194

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第194話 湯治場の夢


夢にタイトルを付けるのが難しいことがある。主題がどこにあるか分からないからだ。“作者”は一体何を言いたかったのだ?!

『こんもりとした山の谷合に家が建っている。水分が漂う日本の山である。家はどうもゆかりの家であり、最近改装されたようだ。随分広い。その上、大きな和室の奥の間が、客間に作り変えられたが、余ったままのようだ。しかも、畳はボコボコとして歪み、全体が傾いているような感じである。ただ暖簾のぶら下がった裏口から出入りが出来る。それはそのまま隣の湯治場の湯船に繋がっている。広い浴槽には沢山の人が浸かっていて、暖かげな湯気が立ち上がっている。

家族が大きな部屋で寝止まりし、なんだか荷物で溢れている。一方、僕は電車のホームで下車しなければならないと分かっているのに、ドアの前で体が動かない。荷物も多くて車内から取り出せない。ドアが閉まるので仕方なく体を引っ込める。』

―――夢全体に「やるせない不満」が漂う。温泉は「生命の根源」に関わっている。山間の古家は記憶の古層であり、素朴で不完全な「成長の過程」を示しているのだろうか。改装しても、歪んだ過去の構造を隠しきれないのが分かる。

電車から降りれないのは、覚醒意識の呪縛のせいか、社会制度のせいか?そういえば荷物にはワイシャツが含まれていたように思う。

こうやって書き出す事自体が、覚醒した意識による抽出であり、ストーリー化作業となる。同じ意味で、人生はもともと「夢」のようなものでありながら、人生として語られることで「人生」になる。

              。○   。
            。 〆\
             ◎ノノ◎   。
             (・●・)))。

         「また、お会いしましょ」 2003年12月28日更新


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