アーサーおじさんのデジタルエッセイ193
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む子供の頃、土ぼこりのする土手や、砂利の敷き詰められた道路を、黄色いファッションで身を包んだお坊さんの一団が並んで、平べったい太鼓を「ペラン、ペンペン。ペラン」と叩きながら、行進していた。もちろん静かな昔の田舎街のことだから、それは遠くからでも聞こえて、結局通り過ぎるまで、眺めていたものだ。子供には奇妙な集団であり、侵すべからざる威圧感を感じていた。しかし、あの平べったい太鼓だけは、貸してもらえたら叩いてみたいのに、と考えた。
あの集団は一体どこから歩いて来たのだろうか。また、どこまで歩いて行くのだろうか。疑問は尽きない。
先日、渋谷駅で電車を降りたとたん、大きな太鼓の音がハチ公前広場に鳴り響いていた。きっとお祭りだ。そう思って眺めても、人の頭が並んでいるだけだ。不審に思い、くるくる頭を回してその音源を探しまわった。すると、地下道入り口の壁にチョコンと座ったあのイエローファッションの一人の坊さんが団扇太鼓を叩いている。頭には「やり掛けの刺繍の輪っか」ような被り物。そうだ、小さい頃から不思議に思ったのは、あの平べったい太鼓の力だった。祭りで見る巨大な樽状の太鼓は大きなバチで胴の中の空気を共鳴させて唸るのに、この「団扇太鼓」は一枚の皮だけで、あんなにも世界に轟くことをやってのけるのだ。共鳴させているものは何か?共鳴させているものは、その周囲に存在する空気全てなのだ。だから彼には「良い空気」と「悪い空気」が分かるかも知れない。ここでは、いつもいい音が出るなあ。おや、今日はみんなオーバーを着込んでいるから音が沈むなあ、とか感じているのではないか。
あまりにも特殊なイメージを背負ったこの楽器はYAMAHAで売っているのを知った。高くはない。趣味で購入する人もあるのだろうか?どこで練習すればいいだろうか。
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「また、お会いしましょ」 2003年12月21日更新