アーサーおじさんのデジタルエッセイ183
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む日本シリーズとワールドシリーズが同時に進んでいる。でも、こんなことは感覚的には珍しい。人生の原則には「個人の大事件は重ならない」というものがある。それはどういうことだろうか。大きな苦しみは、周辺の小さな苦しみを隠す、あるいは違う意味に変えるということだろう。いきなり重病などを宣告されると、これまで悩んだり、不幸だと思っていた事項が吹き飛んでしまう。
本当の苦しみは欺瞞的な苦悩を暴くのだ。数箇所を怪我などして激痛に苦しむとする。大きな傷が治療で少し改善すると、周囲の小さな傷が痛み始める。しかし本当は最初からどの傷も痛かったはずなのだ。国家でもそうだ。ありとあらゆる苦痛が芽を吹くのは、爆撃の後遺症も消えたかと思われる戦後からだ。
苦痛は大きい順に並んで待っていたのだ。これは幸福とサンドイッチになっているから、それさえ知っていれば人は完全に不幸になることもない。
朝の通勤電車で会社員に男が激しく殴りかかっていた。大きな声で罵り合う。
この二人の不幸は恐らく大きなものではない。大きなものを見詰めていると、相手の肘や踏んづけた足が、戦う必要があるほどに痛いということはない。
「また、お会いしましょ」 2003年10月26日更新