アーサーおじさんのデジタルエッセイ139
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むある銀座の割烹で、今月の終わりには停年で辞めていく人の送別を3人でした。
私が新人に近い頃、ちょっと地獄のような作業のあるクライアントに3人が担当となり、ギスギスしながら、毎日毎日沢山の仕事をこなした仲間だったのだ。
周囲も同情しながらも『自分が担当でなくて良かった』という空気の流れる状況であったのだ。
関係者には犠牲者も相次いだ。(過労による病気、ノイローゼ、辞職など)3年ばかり続いた。
そして、3人は長い間、離ればなれとなり、時間がたっぷり過ぎた。ま、そんな仲間なので、3人こっきりの送別なのだ。
翌日、彼からお礼のメールが届いた。
そこには、こう書かれていた。
「昨日は ほんとにありがとうございました。(略)
――――当時の苦しみはすっかり忘れてしまい
あの時期は 私の中では
けっこう楽しい思い出になっています。―――――(略)」
驚いた。
こうはっきり、書いてしまえるのだ。
人はどんどん当時に関わるものを捨て始め、現在に関わるものへと収斂させるのだな、と、昨日、アルバムを整理していて思った。
旅行の写真は、風景は捨てられ、自分の姿のうち“笑っているもの”が残る。
そしてきっと薄いアルバムになるのかもしれない。
「本当の人生とは、(実は)覚えていること。
語られるもののことだよ」コロンビアの小説家、ガルシア・マルケスが新作(Vivir para contarla)でこう言っている。
「また、お会いしましょ」 2002年12月8日更新