アーサーおじさんのデジタルエッセイ109
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む「女性の力は偉大だ」という表現自体が、すでに男性社会原理の視点であることは分かる。
		
なぜなら、文章というものが本来男性的原理(ロゴス)で成立しているから仕方がない。
		
それに比して実体−−人生の実体、そのものは女性原理である。
		
「美」も「滅び」も女性原理である。
		
男性は抽象を追う。
		
女性は現実に生きる場を見出す。
		
自分自身を化粧で「美」に描きあげる女性が、家のトイレ掃除をしているという現実に、かつて、気付き、感銘したことがあった。
		
ああ、男は現実の原理を知らないのかもしれない。
		
では、画家になるのはどちらが有利なのだろう。
		
カンジンスキーとミュンターの芸術的関係はどうだったのだろう。
		
感性は女性。
		
表現技法は男性のもの。
		
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ジョン・レノンはオノ・ヨーコの前衛的な個展を訪れて、揺さぶられ魅了される。
		
彼にとってはオノ・ヨーコそのものが新たな「世界の現実」として逃がれられない壁になったのだ。
		
カミーユ・クローデルはロダンの愛人となり、彼の後を追いかけるが、作品はロダンより上質で激しい。
		
ロダンの中の、社会に定着させる男性原理に憧れたのかもしれない。
		
女性の持つ、生命の香り、ことばを用いない磁力。
		
いつも大きな記憶につながる。
		
なにか大自然を目の前にした瞬間に等しい光景を、与え続ける。
			
		
       「また、お会いしましょ。」 2002年5月5日更新