アーサーおじさんのデジタルエッセイ108
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む山の頂上を目指して登る時には、どちらを向いている?当然、空の方を見詰めているに違いない。
足元もはっきり見える。青い空、流れている雲。暖かい太陽の光。いかにも「青春」にふさわしい光景である。
そして、それがいつまでも続くのではない、ということは実は分かりにくい。
必ず頂上があり、下りに変わる。これは人間の体力や命の山である。
しかし人はそれを信じない。上を向いたまんま、下向きの行程に足を滑らせる。
「あ、どうしたのだ!」「なんの、まだまだ」と痛みを否定しながら、足を上にばたつかせる。
登りは自然だが、下りは意識が必要である。人体の生理は圧力が加わる変化には強いが、力を抜く方には制御ができない。
徒然草にも、木登りの人に降りる時のみ声を掛ける長に、どうしてか尋ねる話があった。
長は「登るときには、自分が気を入れている。
降りる時は、そうではない」とあった。
秋口よりも春に体調は崩れる。
ホメオスタシス(恒常性機能)は、厳しさに向けて発揮される。
ゆるむ時に体調は狂うからだ。
オリンピックでも、つらい瞬間に泣く選手はいないが、勝負が済んで、誉められると必ず泣くじゃないか。
緩められる緊張。
これに気付いて生きていかないと、足元を間違う。
人は、下りに気付いて、上をではなく、下を見下ろして歩く時が来るのだろう。
その時、下界が目の前に広がり、視野が生まれるかもしれない。
ゆっくりと景色を眺めながら。
◎ノノ◎
(・●・)
また、お会いしましょ。」「また、お会いしましょ。」