アーサーおじさんのデジタルエッセイ110

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第110話 闘技場の民主主義


「グラデュエーター」というローマの拳闘士を扱った映画で、悪い皇帝が、主人公に、戦い終わった相手をその場で殺すように指示するが、彼は殺さない。

彼の行いを支持する市民が気勢をあげて静まらず、皇帝は手が出ない。

こういう形で市民が「参加」するシステムがローマにあったらしい。

国民投票に似ているが、まず皇帝が決め、それを規制する力として動くところが特徴である。

ヨーロッパでは政府の行動に対し、デモで反対を唱え、抑えてしまうことがある。

日本ではそれがない(ドイツの友人が日本人はどうして公共料金値上げ反対などでストをしないの?と尋ねていたのを思い出す)。

有事法案も「ぶうぶう」言いながらも、なんにも起こらない。

理由は簡単だ。徳川三百年と、明治政府が築きあげたオリジナルの国民文化なのだから。

ひとりひとりがやけに小さい。

みじめだ。

政府と幕府と政治家と有識者と銀行は『皇帝の側』にいるから、そうは考えない(もちろん例外ある)。

こうしたいああしたいと考えている。

国民が反対しても、国民とはばらばらの砂である。

あとはマスコミがうるさいので、これをコントロールすればいい。

だから、欧米に比べ、『立派にまとまりのいい国』が維持できている。

ときどき悲しくなる。

会社でも、文化は同じだ。

誰かを切り捨てよう・・誰も文句が言えない。

皇帝が決める。

マスコミは存在しない。


             ◎ノノ◎     
             (・●・)

         「また、お会いしましょ。」 2010年6月5日更新


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