僕たちは、もしかしたら一生行きもしない遠い世界の事柄に惹かれ、あこがれているなんて事がある。それは時々、ふとしまっておいたおいしいクッキーのことを思い出すように突然、暮らしの色んな場面に浮かび上がり、甘い気持ちをもたらしたりする。忘れはするが、必ず仕舞ってある押入れの奥の幻想だ。
僕が時々、思い出すのは「塩」のこと。 僕は「塩」の姿を思い出し、うっとりとする。 日本人は、海から塩を得る。干潟一面まっしろになった塩田で、夏の炎天下に麦わら帽子の男達が塩を引く姿。今では天日ではなく機械乾燥の工場になったはずだけれど、この風景は記憶のテキストになっている。 「そうでもない」と知ったのは、いつのことか?
ヨーロッパでは「塩」といえば、山から採る鉱物である。特に東欧には、有名な「塩抗」がいくらでもある、と聞いている。塩抗? 炭坑みたいなものか?そう。ほぼそんなものだ。地下何百メートルと掘り進み、塩の壁を崩しつづける人々がいる。それで賄っている村がある。
ヨーロッパの歴史を調べれば、「塩の宮殿」という言葉が出てくる。巨大になった地下深くの塩抗で、貴族達が蝋燭を灯し、明明とした照り返りが反射し合う空間をダンスフロアーとして舞踏会を開いた。招待されたものたちは、なんともひんやりした大地の奥深い懐で幻想的な気分で高揚したのか。
「んったったあ♪、んたったあ♪・・」 「塩の宮殿」、これをこの一生で見るということがあるだろうか。あるだろうか?僕の人生はどのように線が引かれているのか。僕は塩の宮殿を知ってしまったのだ。 (ぼくの塩のお話1)
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「外を見てごらん、五月の風が吹いているよ」 2000年5月2日