アーサおじさんのデジタルエッセイ70
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む僕も世間の例に漏れず、「オードリー・ヘップバーン」を特別の人物と思っているひとりである。
しかしオードリーが、なぜ天から降りてきた特別の人物であるかを説明するのに、抽象的な言葉や、しかも、「ローマの休日」のシーンなどで強調することしかできない。
なんと平凡な「ファン」ではないか!
要するに何も知らないのだ。
この伝記作家(「オードリー・ヘップバーン物語」バリー・パリス)はうらやましくも、オードリーの周辺を詳しく取材し調べている。
上巻にはオランダでナチの支配下での、成長期にあるバレリーナとしての彼女を書いている。
灯火管制下での秘密の公演。
見張りを立て、近所の人々がこっそりと集まる応接間。
拍手がないフィナーレ。
ナチに抵抗して死んでいく若者達のことが書かれている。
それ以前、彼女は鏡の前で自分は醜くて、一生結婚できないと考えていた、とも書いてある。
作家は調べ、披露し、述べている。
しかしそれにしても、"彼女が成長して女優になったのではなく、最初から完成品として地上に降りた女優である"ことを説明出来ているわけではない。
長い文章を通して、うっとりしているに過ぎない。
その点で平凡な我々と同じく抽象的でもある。
それが、少し僕を安心させる。
誰もがそれぞれの「ホリー・ゴライトリー(ティファニーで朝食を)」に出会い、今どこに居るか、どうしているか、気に病むしかないのだ。
※「ティファニーで朝食を」の原作(トルーマン・カポーティ)は映画とはかなり違う。
◎ノノ◎。
(・●・)。
「 また、会いましょう」