アーサおじさんのデジタルエッセイ63
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進むアルプスの少女、ハイジに白鬚のおじいさんが出てきたと思うが、あんな爺さんは大抵、「"わし"はのう、お前が可愛いんじゃよ」などという言葉を使う。
塩爺だろうが、村山さんだろうが、かつては青年や、少年であったはずだ。
ある時、疑問が浮かんだ。
人(男)はいつから「儂(わし)」などと自分のことを呼ぶのだろう?
「ぼくたん」と爺さんが言ったら笑うだろうが、小さなころから呼び名は変わり難い。
母親を「おかあちゃん」などと呼ぶことは割合変化しないじゃないか。
社会的に考えれば還暦の60歳から、「俺も今日から、"わし"じゃ」とかなるんだろうか?同期の男に20代から「わし」と言う男がいた。
今はもう鬚もじゃだから合っている。僕はいつからわしになるだろうか?
ギャルはいつ「オバタリアン」になるのだろうか?
電車の中のギラギラ「ギャハハ!!」おばさん連を見ていると、麗しい女学生連との異質性があり過ぎ、一つの人生の線の上で繋がっているものとは考え難い。
ある朝、突然雪が降るように「おばさんの日」はやってくるのだろうか?
可愛い青年は、いつ「オヤジ」になっているのだろうか?
「 また、お会いしましょう」