アーサーおじさんのデジタルエッセイ600
日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る こういうエッセイ、なんだけれども、今回みたいに里程標的な回数になると、なにか大そうなことを書くべきかなどと思ったりする。
けれどもこのエッセイを書く意味は「あまり大層なことは考えないで、何か考えよう」という実験でもあった。
世間には大層らしいことは沢山あるが、いいものは別に大層なものばかりでもないと思う。
スポーツとはオリンピックばかりではないのと同じである。
それは氷山の出っ張りに部分である。
その水面下には、新聞に載らない、カメラが着いて回らない膨大な人びとの行動や日常が隠れている。
そういう大層なものの隙間を見せるエッセイなどあってもよいという気持ちであった。
2000年から始めたので、12年ばかり続けてきたことになる。
どんなにすごい事が起こっても、そこに至る平凡な日々がそれを支えているのが感じられる。
ふもとから9.9合目までの大地が存在しなければ、頂上は生まれない。
そういうことである。
金メダリストの、その受賞の演技を見る代わりに、それまでの膨大な練習や苦悩や準備を眺めてみたらすごいかも知れない。
小さな喜びや驚きが見つかるだろうと思われる。
「なんだそれでは当たり前だ」と思わせる内容かもしれない。
ハリウッド映画は、大女優や有名俳優、おおげさなシナリオ、そして巨費を投じて制作し、宣伝される。
その作品の核になるものが、人びとの人生に意味や力を与えるかどうかは、ずっと後の事になる。
観客動員数の後になる。
あるいはきらりとした意味があるとしても、そのことが忘れられて製作されることがあるのではないか。
釣り上げたのが小さな魚であっても虚飾せずに、できるだけ手早く料理して、おいしくいただく喜びを忘れず届けたいものである。
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このエッセイは600回以降は、不定期にしたいと思います。
メール配信も、適宜、縮小あるいは中止致します。
ごめんなさい。
今後は関連のホームページでご覧ください。
(検索→「アーサーおじさん」)PCメールの環境が変わり不都合が多いうえ、現在、義務的なコミュニティ活動に追われているのです。
また、新たな活動領域を探りたいと考えています。
ありがとうございました。
「アーサーおじいさん」より 2012・8月29日
◎ノノ◎
(・●・)
「また、お会いしましょ」 2012年9月1日更新