アーサーおじさんのデジタルエッセイ581

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第581 春を待つ


 春はどうして、ギザギザにやってくるんだろう。頭の中にはダブルバインドな世界がある。
次のお出かけに、もしかしたら雪が降るかもしれない。
そうすると装備をどうしよう。出かけるのをやめようか?
いや、暑くなるかも知れない。
半袖がふさわしいに違いない・・・と。
ともかくも、寒い風が吹くと、コートを押さえて早く春が来ないものかとみじめな心地している。
「待つ」という時間は、どちらかと言えば苦痛である。
もうすぐだと分かっていても数秒の信号待ちが耐えられない気持ちになることがある。
死刑囚の日々のように凍結した時間が耐えられないのだ。
 ところが、冬を避け、暖かさにあこがれてタイに移住した人はやがて、一年中の暖かさ(熱さ)に辟易し、四季の変化に戻りたくなるらしい。
ある熱帯の島では冬こそが生き生きした季節であり、夏のことを「トンネルのように過ぎるまでただ耐える」季節だとののしっていたのを思い出す。
とどのつまりあのギザギザの春でもよろしい、ということだ。
ではギザギザの両側を楽しめないものだろうか。
 

私たちは、黒白つけるのが習性なのか。
暖かいだけの四季、のんびりしているだけの毎日、甘いだけの食品。
そんなものは実は耐え難くなるのだ。
 子供のころ甘い卵焼きが好きで、なるべく砂糖を多くしてもらっていた。
ある日厨房を覗くと、卵に塩を加えているのを見た。
「ああ、あれが邪魔をしているのだ」幼い私は、こっそりと自分で卵焼きを作った。
もちろん塩を抜いた「純粋な甘さの卵焼き」を作るためであった。
しかし、驚いたことにその卵焼きはひどくまずかった。
信じられないことであった。
何が起こったのか!
 何かここに、自然と世界と人生の秘密が隠されていたのに違いない。
だがまだ完全に掴んでいるとは言い難いのである。


               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」 2012年3月16日更新


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