アーサーおじさんのデジタルエッセイ560

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第560 恐ろしいオーディション


 たまたま二本立ての映画の片方で、NYのオーディションのドキュメント映画を見た。
3000人から「コーラスライン」の新メンバーを絞りこんでいくという事件である。
そこには実際に全世界からなけなしの金を握って駆け付けた、野心に燃える若者の姿を見ることが出来た。
オーディションと言っても、一回ではなく、次第に絞り込んで、最終選考まで、何カ月にも亘るのである。
 最初は誰かれとも区別がつかぬ登場人物たちだが、だんだんに顔や性格が見えてくる。
誰もが素晴らしい。
魅力的である。
選考する側も短い時間の中で、必死に指導しながらのオーディションである。
どんどん変わっていく。
その場だけでも進歩しているのである。
沖縄から来た女性もいたが、彼女は結局、最後には選考された。
 映画を見る方にも気に入る候補者が出て来るから、シナリオではない展開に一喜一憂するのである。
そのたびに彼女たち(女性が時に多く扱われていた)が、「Y字」の前、つまり岐路に立たされている瞬間に立ち会う。
次の瞬間には、OKかNOのどちらかに100%決るのである。
全てがOKか、NOか。
人生ではどう避けたところでこういう、二者択一(alternative)な状況がやってくるのだ。

 ところである程度の年齢に達すれば、誰にでも一度や二度はあるのだろう。
私は、ある身体の部分の検査のために混み合う病院の廊下の椅子に座っていた。
もうすぐ名前が呼ばれると診察室に入る。
そこで、検査の結果で不調の原因が、癌か、そうではないか、が知らされる。
こういう場合に、闘病している知人たち、亡くなった友人たちのことが思いやられる。
その姿も思い出しながら診断の結果に構える。
これからの、2つの可能性の人生を考える。
緊張する。検査前に、疲れてしまう。その時、あの映画の彼らも、こういう鉛の時間を嘗めていたのだと知る。
この時、映画は現実の自分のものになる、ということだ。
  

               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」  2011年9月23日更新


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